Camaro Corvette Grand Sport Corvette Z06
「シボレー」の名は、創業者であるスイス生まれのレーサー兼エンジニアであるルイ・シボレー(1878-1941年)に由来しています。 1911年 11月、米国・デトロイトのダウンタウンに近いレンタル・ガレージで初代シボレーが誕生し、以後、世界のあらゆる地域にその名が知られていくことになります。 シボレーは、その後100年間で、2億900万台を超える乗用車・トラックを生産し、世界140数か国で販売される世界有数のカーブランドのひとつに成長しました。 日本での歴史も古く、1920年代から30年代にかけて、大阪でシボレーが製造されていました。 当時の製造と販売に携わったメンバーは、その後の日本国内自動車産業の礎を築いています。 日本においてシボレーブランドは、「コルベット」や「カマロ」などアメリカを象徴するアイコンカーを日本市場に提供してきました。 2011年7月30日には、7シーターSUV「シボレー キャプティバ」も販売開始しています。 アメリカの「パッション」と「実用性」を兼ね備えたブランド、シボレーの1世紀以上にわたる歴史を振り返ってみましょう。
世界的に知られているシボレーの「ボウタイ(蝶ネクタイ)・ロゴ」は、1913年後半に、シボレーの共同設立者であり、GMの創設者であるウィリアム・C・デュラントによって採用されました。 しかしながら、このボウタイが、どのようにしてシボレー・ブランドのロゴマークとして採用されたのかは、さまざまな説があります。 そのうち4つの説をご紹介します。
そ の1つは、デュラントが、滞在先のフランス・パリのホテルの壁紙のデザインからインスピレーションを得たという説です。 1961年にシボレーから出版された「シボレー・ストーリー」に、「1908年当時、世界中を飛び回っていたデュラントは、あるフランスのホテルの壁紙の デザインの中に、視点を無限の彼方へといざなう模様を発見した。 彼は、その壁紙を一枚剥いで取っておき、友人に見せることにした。 それが、車のネームプレートに相応しいデザインになると考えたからである」という記載があります。 2 つ目は、1929年、デュラントの娘であるマージェリーは、「My Father (父)」というタイトルの本を出版しました。 その中に、時々、デュラントが、ディナー・テーブルで、複数の紙片にネームプレートのデザインをとりとめなく描いており、その中の一つに、ボウタイのス ケッチがあったという記述があります。 3つ目は、1986年、デュラントの未亡人キャサリンのインタビュー記事にボウタイにまつわる話が登場して います。 デュラント夫妻が、1912年に休暇中のホテルの部屋で、デュラントが新聞を読んでいる時、あるデザインに目をとめ、「これはシボレーのとても良いエンブ レムになる」と彼が叫んだと話しています。 その時、夫人は彼が何を見て叫んだかわりませんでしたが、後に歴史家ケン・カウフマンは、当日新聞に掲載されていた広告、着火用の精製燃料製 「Coalettes」の広告からヒントを得たのでないかと語っています。 最後の説は、1878年のクリスマスにスイスで 生まれたルイ・シボレーが、スイス国旗の十字の図案からデザインのヒントを得たという説です。
正しい由来がどれであろうとも、シボレー設立から数年後に、シボレーのロゴマークとして、ボウタイが採用されることになります。 ボウタイが、シボレー・ブランドのシンボルとして、初めて広告に使用されたのは「The Washington Post」の1913年10月2日付に掲載されたものです。 このシボレーのボウタイの彩色と細部は、1913年後半以来、数十年にわたって多くのバリエーションが使われてきましたが、基本的な形状はまったく変わっ ていません。 2004年に、シボレーは、全世界で販売されているすべての車種に現在のシボレー・ブランドのアイデンティティとして、ゴールド(金色)のボウタイを使用し始めました。 これにより、すでに世界で最も認知されている自動車ブランドのエンプレムの一つになっていたシボレー・ブランドのロゴマークが、さらにパワーアップされる ことになりました。
1911年11月3日、スイス生まれのレーサー兼エンジニア、ルイ・シボレーと、ウィリアム・デュラントによって、「シボレー・モーター・カンパニー」が デトロイトに設立されました。創設者のルイ・シボレーの名前を採った「シボレー」の輝かしい歴史は、ここから始まります。
初めてのシボレー車となる"クラシック・シックス"を発表。フロントに搭載された6気筒エンジンや、リアにマウントされた3速ギアなど、当時の最新技術が装備されていました。
現在では世界的に有名になったシボレーの「ボウタイ・ロゴ」。そのデザインは、パリに滞在していたデュラントがホテルの壁紙の模様を見て思いついたと言われていますが、諸説あります。ボウタイ・ロゴは、1914年に初めてシボレー車に付けられました。
2番目のシボレー車となる"490"を発表。当時490ドルという競争力のある価格により、"490"は大成功し、会社の収益を大幅に向上させました。
シボレーが正式に「ゼネラル・モーターズ」グループの一員となり、当時会社は創設者でもあるデュラントが2回目の指揮を執っていました。
シボレー初のトラックが発表されました。このモデルは、"490"と1トントラックのシャシをベースに開発された軽量トラックでした。
日本では1927年(昭和2年)に、「日本ゼネラル・モーターズ株式会社」が設立され、GM大阪工場(大正区鶴町)の操業が開始されました。 生産第1号車は、シボレー1トン/1.5トントラックとシボレー4ドアセダンでした。その当時「円タク」と呼ばれていたタクシーの約3分の1は、シボレー 車が占めていました。また、GMは日本においても、アメリカと同様の販売方法つまり、全国にディーラー網を展開しました。その後、GM大阪工場では、第二 次世界大戦(1939年・昭和14年)による操業停止までの13年間にわたり、シボレー他GM車15万台以上が生産されました。
パワーと頑丈さを強化した、6気筒エンジンのトラックを発表。このモデルは、多くのファンを獲得し、オーナーから"鋳鉄の奇跡"と呼ばれるようになりました。
業界初の一体型スチールルーフである、「チューレトップ」が開発されました。これまで自動車のルーフは木枠とキャンバスで作られており、構造とデザインを 損ねる構造となっていました。すべてのGM車に搭載されることになるこのユニークなルーフは、1935年にシボレー全車に採用されました。
この年、シボレーは郊外移動型のキャリーオール(当時の多目的バン)である、”サバーバン”を発表。0.5トン トラックのプラットフォームをベースにした8人乗り。サバーバンは、現在のSUVへの礎となりました。
戦時体制により、兵器や軍用車を製造するため、1942年1月から、乗用車など民間用シボレー車の製造が一時休止されましたが、終戦後の1945年10月に再開されました。
シボレーは大衆車に初めてオートマチックトランスミッションを採用しました。1950年モデルのシボレー車には、「パワーグライドトランスミッション」がオプションとして装備。また、この年、ハードトップスタイルの"ベルエアー"が登場しました。
"コルベット"の初代モデルC1が誕生しました。3,850ccのOHVエンジンを搭載し、150psのパワーを持つオープン2シーター。ボディに は量産車としては世界で初めてFRPを採用しました。GMは業界で初めて、スポーツカーを量産し、新しいマーケットを創出したと言えます。
1955年のラインナップにより、GMが開発したデザインは、アメリカの自動車産業界のスタンダードとなります。現代のカーマニアたちが"スタイリングの 黄金時代"と呼ぶ10年の始まりです。1955年モデルには"ベルエア・2ドア・ハードトップ"、"ベルエア・コンバーチブル"などがあります。
大型車の乗り心地と、ピックアップ・トラックの機能性を組み合わせたユニークなモデル"エルカミーノ"を発表しました。
GM初となる空冷エンジンを搭載した"コルベア"。エンジンをリアに搭載するなど様々な議論を呼んだ一方、GMの小型車開発の始まりとなった記念すべきモデルです。
コルベットの第二世代となる"スティングレイ"を発表。これまでのデザインを一新し、シボレー・コルベットの名前を世界に浸透させる名車となりました。
スポーツクーペとコンバーチブルが発売されました。現代のマリブのルーツとなるモデルです。
雄々しい顔立ちと大胆なロープロポーション。その外観にふさわしい豪快なパフォーマンスで、一台のスポーツクーペが衝撃のデビューを果たしました。瞬く間に一世を風靡した"カマロ"のスペックとルックスは、当時の若者にとって、夢であり、憧れでもありました。
立体的で力強いフロントマスク、大きなドアとリアスポイラー、そして375hpエンジン。マッシブでスタイリッシュな第二世代の"カマロ"が誕生しました。
アメリカ市場において、低燃費車の先駆けとなった"シェビット"が登場。オペルによるバージョンもアルゼンチン、ブラジル、イギリスのGM工場で生産されました。
発売から25周年を迎えた第三世代の"コルベット"が、インディ500で初めてペースカーをつとめました。
前モデルよりも7インチ短い"カマロ"は、90-hp 2.5リットル4気筒から165-hp 305-cid V型8気筒までのエンジンを選択することができました。1982年モデルのZ28は、この年のインディ500のペースカーをつとめました。
デビューから15年のこの年、大幅なモデルチェンジを行い、スポーツカーファンに強烈な印象を与えました。"コルベット"は、マーケットでの確固たる地位を築きました。
1973年モデルから大幅に刷新されたスリムでパワフルなこのモデルは、ピックアップの新たなラインナップを確立しました。
"コルベット ZR-1" が、24時間平均時速(175 マイル)を始めとした、スピード耐久レースの3つの記録を更新。
ケンタッキー州のボーリング・グリーン工場で、100万台目の"コルベット"が生産されました。
"カマロ"は、この年のインディ500でペースカーをつとめました。この有名なレースのオフィシャル ペースカーとして、4度目の登場を果たしました。
"コルベット"に搭載された5,735cc V8エンジンは、シボレー史上初のオールアルミエンジンブロックを採用。99年式では、新たにアクティブ・セーフティ機構「アクティブ・ハンドリング・システム」を標準装備しました。
世界最高峰の自動車レースの一つ、WTCC(ツーリングカー世界選手権)にシボレーチームが、"シボレー・ラセッティ"で初参戦しました。
この年のデトロイト モーターショーにてコンセプト・カーとして発表。"ボルト"には、先進的なデザインと革新的な新技術により、他の電気自動車とは一線を画する充電式電気動力システムが搭載されました。
2007年の大ヒット映画「トランスフォーマー」に、黄色いカマロに変身する「バンブルビー」というキャラクターで登場し、大人気を博しました。その後、シリーズ3作目までリリースされています。
"カマロ"の第五世代が登場。最先端テクノロジーにより、7年ぶりにフルモデルチェンジを果たしたカマロ。そのフロントマスクからは、初代 を彷彿とさせる 力強さ、雄々しさが伝わってきます。また、この年GMの歴史の中で最もパワフルで速い"コルベットZR1"が登場。エクステリアに初めてカーボン・ファイ バーを採用しました。
GMは、石油に依存しないエネルギー源の多様化、そして、環境負荷の軽減に向けて自動車の電動化に力を入れてきました。E-REV(Extended Range Electric Vehicle:航続距離延長型電気自動車)である"ボルト"は、走行距離、公共充電スタンド等の社会インフラ整備を心配することなく、安心して走れる、 全く新しい概念の電気自動車です。
コルベット・レーシングの新しいC6.R ZR1が、ル・マン24時間レースのGTE プロクラスで優勝。2001年以来7回目となるこの勝利は、コルベット・レーシングの初勝利から10年という記念すべきイベントとなりました。
シボレーのSUVの伝統を凝縮したニューモデル"シボレー・キャプティバ"が日本デビュー。
WTCC(世界ツーリングカー選手権)の第9戦が、2011年9月4日、スペインのバレンシアで行われ、シボレーチームが2年連続でマニュファクチュア ラー・チャンピオンを獲得。世界最高峰のツーリングカーレースであるWTCCで最も競争力がある車であることが証明されました。
米国NHTSA(米国運輸省道路交通安全局)が2011年に行った新車安全評価テストにおいてシボレーカマロは最高評価の☆5つを獲得しました。
カマロ クーペに続きコンバーチブル モデルが国内にデビューしました。
シボレーを代表するボータイマークが誕生し100年目を迎えました。その間、このシボレーバッジのついた車が合計2億1500万台世界に送り出されました。
世界的に有名なプレイステーションのゲームソフトグランツーリスモ®5に、発売開始前にもかかわらず第7世代コルベットが登場しました。
第2世代コルベットに付けられていたスティングレイの名前が復活し、発表されました。
コルベットとジルバラード両モデルが、自動車部門、トラック部門それぞれで2014年北米カーオブザイヤー受賞を受賞しました。
EVモードで80kmもの走行距離を持つ、新型VOLTが米国で発表されました。
米国・ミシガン州のグランドリバー工場で、新型カマロの生産が開始されました。
米国のストックカーレースとして有名なNASCARレースへカマロが参加することを発表しました。
世界限定モデルとなる コルベット グランスポーツ コレクターズエディションが、日本国内でも限定5台発売されました。
1967年に誕生したカマロは2017年に50周年を迎えました。
日本人ドライバーが初めて優勝を飾った、2017年のインディアナポリス500マイルレースでは、コルベット グランスポーツがペースカーとして活躍しました。
※本サイトはMozilla Firefox最新版、Google Chrome最新版でご覧になることを推奨します。